前編・中編では、助産師の仕事やどのように学べばいいのかなどを説明しました。
後編では、助産師に向いている人・向いていない人を説明します。
今、あなたが看護師をしていて、これから助産師資格を取ってみたいと思うならば、ぜひ自分の性格も加味してください。
現在、産科医が減少しています。
日本の出産を助ける、助産師が望まれています!
あなたの力で、日本を産みやすい国にしませんか?
【助産師に向いている人、向いていない人】
助産師は、母と赤ちゃんの命を預かる仕事です。
その意味で、やはり適正があると言えるでしょう。
1番向いている人は「タフな人」です。
分娩の際は、母子も大変ですが、助産師も体力を使います。
お産が2つ同時に始まることがあっても<母子が第一優先>で臨みますから、パワフルさが必要です。
また、お産は24時間365日、いつ始まるかわかりませんし、出産が長引けば長時間勤務になることも多い。
状況に合わせた柔軟な対応を行わなければいけません。
タフな意味の中には、精神的な強さも入っています。
すべての妊娠・出産が幸せな結果に着地するとは限りません。
流産や死産などの悲しい結末に立ち会うこともあります。
悲しくても、母親やその家族を支える立場にまわり、支え、前を向けるようにするのも仕事です。
どのような状況になろうとも、愛情と優しさを包み込む強さが必要です。
「思いやりがある人」も向いています。
産前・産後は、ホルモンバランスやプレッシャーなどの影響で、情緒不安定になる人が多いです。
不安にかられ泣き出したり、怖さからキツイ言葉を投げかけられたりしても、助産師は忍耐強く接します。
思いやりと優しさを忘れずに関わることが重要なのです。
話に耳を傾けて、安心感を与える事や、わだかまりを取り除くことに尽力します。
これらは、産科医にはない助産師に求められる最大の役割といえるでしょう。
相手を思いやる気持ちが沸きあがってくる人が向いているといえるでしょう。
もう一つ「触れ合いが好きな人」もこの仕事に合っています。
母親と赤ちゃんに一番近い場所で、ケアを行う助産師。
会話やボディータッチから相手の不安要素をくみ取ります。
そして、安心感を与え続けます。触れ合うことで、意思疎通を行う場面もありますので、コミュニケーションをとることが好きな人が向いているといえます。
分娩後、母親は身体が思うように動かない人もいますので、かわりに新生児をお世話し、どのような様子なのかを母親に伝えます。
お世話することや触れ合うことが楽しいと感じられるならば、なお合っているといえるでしょう。
一方、助産師に向いていない人もいます。
お産は、生命の誕生という眩い場面ですが、そうでないこともあります。
たとえば、流産、早産、子宮内胎児死亡など。
助産師は全力で母子と向き合いますが、残念な結果になってしまった時「この仕事はキツイ」と感じることがあるでしょう。
精神がとてもデリケートな人は強い影響を受けてしまいます。
あまりに悲しく、落ち込み続ける性格ならば、助産師を避けた方が賢明です。
命と向き合うことは、楽しいことばかりではないと考えてください。
【アドバンス助産師】
「アドバンス助産師」という言葉をご存知でしょうか?
これは2015年から始まった、助産師の知識や技術を認証する制度です。
助産師免許は更新制ではないため、これまで一人ひとりのスキルや知識がわかりにくいという課題がありました。
経験や能力は千差万別です。
それを、分かりやすくしたのがこの制度。
助産師の実践能力を審査し、一定の水準に達していることを日本助産評価機構が承認するものです。
アドバンス助産師になるためには、助産師としての実務経験が5年以上、分娩介助件数が100件以上、妊婦検診200件以上など、一定の条件が定められています。
さらに、妊娠や出産に関わる専門知識、メンタルヘルス、新生児の蘇生、母体の救急対応といった幅広い分野の研修を受けなければいけません。
これらは、最新の知識を習得することが申請の条件になっているためです。
これらの条件を満たした上で、書類審査&試験に合格できたらアドバンス助産師として認証されます。
この認証は5年ごとの更新制ですから、常にアップデートが求められます。
ただし、<アドバンス助産師未取得=質は高くない>ではありません。
なぜなら、まだまだ全国にアドバンス助産師の制度が普及されていないことや、一定の条件(分娩数など)がクリアできない地域があるためです。
それでも少しずつ認知されはじめ、2023年12月時点でのアドバンス助産師は8,900人を超えています。
なお、一般の人でも、自分の地域にアドバンス助産師がどの病院・診療所・助産所などにいるか知ることがきます。
日本助産評価機構のHPの「アドバンス助産師一覧」を、チェックしてみてください。
https://www.josan-hyoka.org/personalidentification/namelist/
【まとめ】
最後に、軽く助産師の歴史について触れておきます。
昔は「産婆」と呼ばれました。
江戸時代、産婆は妊婦の自宅へ行き、お産の手伝いを行うのが一般的でした。
お産以外にも、新生児の世話、母親の相談相手など、さまざまな事を請け負っていました。
明治時代になると、産婆は資格化され、西洋医学を取り入れた産婆教育が実施されます。
「産めよ、増やせよ」という国の政策のもと、富国強兵の一環として人口を増加させる一端を担いました。
戦後、GHQにより看護全般の政策を見直され、名称が「産婆」から「助産婦」へ変わり、看護職の1つとして扱われるようになりました。
経済の発展にともない、出稼ぎなどで人口が都市へ流れ出すと、お産は病院等で行うようになりました。
2002年『保険婦助産婦看護婦法の一部を改正する法律』により、名称が「助産婦」から「助産師」へ変更。
この変更は、男女の雇用機会均等の考え方に基づき、女性にしか就くことができない仕事、という印象を与えるのはふさわしくないという見解からです。
産婆から助産師まで、駆け足で振り返りました。
助産師はいつの時代も女性の味方で、母親の傍で、赤ちゃんを見守り続けてきたことがわかります。
令和の時代になった今も、多くの助産師が求められています。
あなたも、助産師になって脈々と続いてきた助産師としての心意気を継いでいきませんか?